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中村文則『何もかも憂鬱な夜に』少年犯罪と死刑制度

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

何もかも憂鬱な夜に (集英社文庫)

 

あらすじ

施設で育った刑務官の「僕」は、夫婦を刺殺した二十歳の未決囚・山井を担当している。一週間後に迫る控訴期限が切れれば死刑が確定するが、山井はまだ語らない何かを隠している―。どこか自分に似た山井と接する中で、「僕」が抱える、自殺した友人の記憶、大切な恩師とのやりとり、自分の中の混沌が描き出される。芥川賞作家が重大犯罪と死刑制度、生と死、そして希望と真摯に向き合った長編小説。

 

 

冒頭は赤い鳥と蛇の話。

 

一羽の赤い鳥を飼っていた。
その赤は、こちらが不安に思うほど、鮮やかで目に眩しかった。

赤い鳥はカゴの中でエサを食べ、水をすくい、飛ぶ代わりに跳ねるように動いた。

幼い僕の手のひらでも、力を入れて握ればつぶれてしまうと思えるほど、その鳥は細く、小さかった。
その赤は、僕に命を連想させ、その小ささに、僕は不安になったのかもしれない。

鳥自体が命であるのに、色からも連想したのは、いかにも子供だったのだろうと思う。

鳥は、蛇に飲まれて死んだ。

僕が生涯で初めて意識した命は、僕達の過失によって、簡単に終わることになった。

蛇は鳥を飲んだため腹が膨らみ、そのことにより、カゴの格子の隙間から出られなくなっていた。

あの時の蛇の表情を、僕はよく覚えている。満足した笑み、というのではなく、悲しい、というのでもなかった。

その表情は、無表情だった。

まるでこの現実をすべて受け止めたかのような、こうなることが、わかっていたかのような、蛇という自分の存在の全てを、自覚しているというような、諦めとも、覚悟とも取れる、動きのない表情だった。

この後、蛇は人間によって熱湯をかけられ、腹を裂かれるという罰を受ける。
蛇=加害者・罪の象徴。のちに出てくる。

感想

難しい内容でありながら、とても読みやすい文章で書かれている。

少年犯罪の加害者にフォーカスした作品。被害者の視点はない。

 

殺人は結果だけど、それにいたるまでの犯罪者の生い立ちを含めることによって、自分とは違う環境で育った犯罪者ただ一人のみが必ずしも悪なのかを考えさせられる。


自分が未決囚・山井と同じような境遇だったら、逆に山井に殺された被害者の遺族だったら。相反する二つの立場から一つの物事を見つめることで、はじめて問題に向き合えるのではないだろうか。

 

また、主人公の親友・真下は両親の不仲をはじめとした悩みや葛藤に耐え切れず自殺してしまう。
思春期の揺れる心や危うさは個人差はあれど誰もが持つものではないでしょうか。真下のノートに書かれていた内容は、私には、共感する部分がありました。

自分も相手も傷付けてしまうナイフのような思春期の心の激しさや狂おしさが真下という人物にうまく描かれていました。


山井のように孤児で親族に虐待されていて誰かからの愛を受けたことのない少年。

彼は自分のことを「俺はクズだから」といっています。

彼自身、自分が特殊な環境で育ち、周りの人とは違うということを自覚している。暴力しか知らずに成長してしまった彼に手を差し伸べてあげる大人が周りにいなかったこと、そしてそんな山井に主人公・僕が語り掛ける台詞。

「お前は屑と言われている。大勢の人間に死ねと言われている男で、最悪かもしれない。でも、お前がどんな人間だろうと、俺はお前の面倒を見る。話を聞くし、この世界について色々知らせる。生まれてきたお前の世話を、お前が死刑になるまで、最後までやる。お前の全部を引き受ける」

そして山井はその言葉に対し戸惑いながらも涙を流します。

彼はどう思ったのだろうか。

また、主人公の職場の先輩である主任が死刑執行人の立場から述べた意見もとても考えさせられました。

「一番聞いていてつらいのが、死刑存続か、廃止か、という言葉だ……。……それなら廃止
でなくて、停止にするべきだろ。じゃないと、過去に俺達がやってきたことが、全て間違っていたことになる……。それは身勝手過ぎるじゃないか」 

 

「恐らく死刑というのは、人間が決められる領域じゃないんだ。だから、色々と矛盾が出てくる。矛盾が出てくること自体、その証拠だよ……。問題は、人間が決められないものを、その不可避の矛盾が出るものを、それでもやるか、やらないかだろう……こういう状態で実際に死刑をやる側の現場の人間からすれば、たまらないけどな。」

 
現在、死刑制度があり、実際に執行されているのは世界194カ国中42カ国で先進国では日本とアメリカだけです。EU加盟の条件として「死刑制度廃止」という文言があるので、ヨーロッパの先進国では死刑制度が廃止されています。日本では、裁判員制度は8年前の2009/5/21からはじまりました。自分がもし重大犯罪の裁判員に選ばれたとき、その決断が誰かの命を左右することになる。 自分がもし裁判員になって作中に出てきたこの少年を裁くとしたら…。

罪と、不平等と、無力さと。

中村文則さんの作品はリアルでグロテスクで鮮明で、だからこそ読者の心に届くものがあるのではないだろうか。


最後に、心にとめておきたいと思ったふたつの台詞を。

施設長の言葉はどれも印象深かったですが、その中のひとつ。

「考えることで、人間はどのようにでもなることができる。……世界に何の意味もなかったとしても、人間はその意味を、自分でつくりだすことができる」

主人公が山井にかけた言葉。

「人間と、その人間の命は、別のように思うから。……殺したお前に全部責任はあるけど、そのお前の命には、責任はないと思ってるから。お前の命というのは、本当は、お前とは別のものだから。」

両者とも芸術鑑賞の必要性を説いている点に共感しました。
巻末の又吉直樹さんの解説も素晴らしかったです。

関連作品

掏摸 (河出文庫) 教団X (集英社文芸単行本) 去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫)