三大童話の神様、アンデルセンの世界へようこそ
世界三大童話
世界の三大童話といえば、グリム童話、イソップ童話、そしてアンデルセン童話です。
中でも子供心を表現した純粋なアンデルセン童話は一度読めばその魅力に取りつかれること間違いなしです。アンデルセン童話の中で特に有名な作品は『人魚姫』、『おやゆび姫』『マッチ売りの少女』、『みにくいアヒルの子』が挙げられます。読んだことがあるという人も多いのではないでしょうか。これらの作品の他にもアンデルセン童話の中には多くの素晴らしい作品が存在します。
アンデルセンとは
ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、デンマークの代表的な童話作家、詩人である。デンマークでは、Andersen が非常にありふれた姓であることから、フルネームを略したH. C. Andersenと呼ばれる。
1805年4月2日 フュン島の都市オーデンセで、22歳の病気の靴屋の父と数歳年上の母親のもとに誕生。彼の家は貧しく一つの部屋で全員が眠った。
1816年 フランス革命、第一次世界大戦でナポレオン軍に所属していた靴職人の父親が戦死。
1819年 オペラ歌手を志し、デンマークの首都コペンハーゲンへ。オペラの他にバレエ学校にも通う。最初の3年間は困窮を極め挫折の日々だった。創作する劇作や歌などが認められず、彼はオペラ歌手の道を断念、その後、デンマーク王や政治家のヨナス・コリン(コペンハーゲン王立劇場の支配人)の助力で教育を受けさせてもらえることになり、大学にまで行くことが出来た。しかし、在学中の5年間(1822-1828年)は文学的才能について学長から嘲笑されたり、個人授業を受けるはめになるなど、悲惨なものだった。
1828年 大学入学、文献学と哲学を学ぶ。
1829年 『ホルメン運河からアマゲル島東端までの徒歩旅行──1828と1829における』を自費で出版しドイツ語版も出るほどの人気を得る
1833年4月~翌1834年8月 ヨーロッパ旅行を決行。パリに滞在したのち、スイスの山村にこもって「アグネーテと人魚」を書き上げ祖国に送って出版。秋からイタリアに移り各地を訪れる。ローマ滞在中に『即興詩人』を書き始める。またローマで活動していたデンマークの彫刻家トーヴァルセンと親交を結んだ。
1835年 デンマークに戻る。最初の小説『即興詩人』を出版。発表当時かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されてアンデルセンの出世作となる。
1843年1月 パリを訪問する。この頃には文名が揚がっていたため、バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、アレクサンドル・デュマ父子、ラマルティーヌ、ダヴィッド、ハインリヒ・ハイネ、ラシェル・フェリックスなどの有名人多数と交友した。またこの年、ジェニー・リンドと再会し、彼女のデンマーク初公演を援助した。その後も死去するまでの間に多くの童話を発表しつづけた。
アンデルセンの童話作品はグリム兄弟のような民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多い。初期の作品では、主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくなく、若き日のアンデルセンが、「死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆き」と、「それに対して無関心を装い続ける社会への嘆き」を童話という媒体を通して訴え続けていたことが推察できる。しかし、この傾向は晩年になってようやくゆるめられていき、「死以外にも幸せになる術があること」を作中に書き出していくようになっていく。また極度の心配性であったらしく、外出時は非常時に建物の窓からすぐに逃げ出せるように必ずロープを持ち歩いた。さらに、眠っている間に死んだと勘違いされて、埋葬されてしまった男の噂話を聞いて以来、眠るときは枕元に「死んでません」という書置きを残していた。70歳の時に、肝臓癌のため死去。
大学を卒業しなかったアンデルセンは、旅行を自分の学校として、多くの旅行記を書いている。グリム兄弟、バルザック、ディケンズ、ヴィクトル・ユーゴー、シュポーア、ケルビーニ、ダヴィッドなど旅先で多くの作家や学者、芸術家と交友を深めた。彼は生涯独身(未婚)であった。
アンデルセンが亡くなった時は、フレゼリク王太子や各国の大使、子供から年配者、浮浪者に至るまで葬式に並び大騒ぎになった。世界中で愛読されていたにもかかわらず、自身は常に失恋の連続だった。要因として、容姿の醜さ、若い頃より孤独な人生を送ったため人付き合いが下手だったこと、他にもラブレター代わりに、自分の生い立ちから童話作家としてデビューしたこと、初恋に敗れた悲しさなどを綿々と綴られた自伝を送るという変な癖があったことを指摘する人もいる。この著作は死後約50年経て発見された。それらによると生涯に三度、こうした手紙類を記したことが分かっている。探検家デイヴィッド・リヴィングストンの娘との文通は有名である。
彼の肖像は、デンマークの旧10クローネ紙幣に描かれていた。首都コペンハーゲンには人魚姫の像とダンス博物館に王立バレエ団時代の資料が、彼の生まれ故郷オーデンセにはアンデルセンの子供時代の家(一般公開)とアンデルセン博物館がある。また、1956年には彼の功績を記念して国際児童図書評議会 (IBBY) によって「児童文学への永続的な寄与」に対する表彰として国際アンデルセン賞が創設され、隔年に授与が行われている。この賞は「児童文学のノーベル賞」とも呼ばれ、高い評価を得ている。
さっそく読んでみよう
作品もアンデルセン本人も面白い人物ですね。さっそくアンデルセン童話を読んでみよう。