森達也『いのちの食べかた』食べるという習慣化された行為について考える
あらすじ
魚は切り身で泳いじゃいない。そんなことは知っている?じゃあ、毎日食べてる大好きな牛や豚のお肉はどこからどうやって、やってくるのだろう?お肉がぼくらのご飯になるまでを詳細レポート。おいしいものを食べられるのは、数え切れない「誰か」がいるから。その「誰か」の支えで、ぼくらの暮らしは続いている。“知って自ら考える”ことの大切さを伝える、ベスト&ロングセラーの名作、遂に文庫化。
感想
人は生きていくうえで、肉体を維持するためにこの世界の命ある他の存在を食べなければいけない。生きていればお腹がすくし、お腹がすけば食べる。そのサイクルを死ぬまで繰り返す。それは習慣であり、常識のようなものであり、多くの人はその行為に疑問を感じることはないように思う。
例えば、野菜の場合、栽培する農家さんがいて、それを仕入れるバイヤーさんがいて、店頭で売るパートの主婦さんがいて、野菜を買う私たちがいて、それを調理してはじめて人の栄養になる。食事という行為は、たくさんの命や人が関わって成立するものなのだ。しかし、私たちにとってスーパーに並んでいるお肉、お魚、野菜、チーズ等、そんなものは物質的に豊かな日本じゃ当たり前の光景である。
私が今回、特に多くの人に知ってほしいと思ったのはお肉に関してである。それは、お肉を食べるなということを言いたいわけではないし、お肉を食べることが正義か悪かということではない。食べられるお肉も、生きた牛や豚、鳥等の命で、自分たちの代わりに、生き物を殺した食材にする仕事をしている人がいるということを知ってほしい。この本にはそのような仕事に従事している人のインタビューも掲載されている。
読んで、「命を頂くことに対して感謝する」という人もいれば「感謝も何も、それは世界の仕組みであり、その仕組みを作ったのは人間じゃない」と言う考えもあるかもしれない。それも間違いではないと思う。
それでも私は一読してみてほしいと思う。特に食べ物を残す子どもに対して、「残さず食べなさい」ではなく「この本を読んでみて」と言ってあげてほしい。(小学生くらいの子供だとお肉等食べなくなることもあるかもしれないのでそれはお母さんの裁量に任せます)
この本はとても平易な内容で書かれている。誰でも読めるように。多くの人に知ってもらえるように。そして食べるということを通して、この世界の矛盾に気付いてほしいと思う。
食事に関する名言
腹のことを考えない人は、頭のことも考えない。
サミュエル・ジョンソン 「ジョンソンのボズウェルの生活」
自立への大いなる一歩は満足なる胃にあり。
セネカ 「書簡集」
運動は食欲を生ぜしめ、食欲はまた運動を必要とする。
ラクロ 「女性教育論」
食欲にまさる薬品なし。
クセノフォン 「キュロスの教育」