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村上龍『限りなく透明に近いブルー』ヤングアウトサイダーの性とドラッグ

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あらすじ

米軍基地の街・福生のハウスには、音楽に彩られながらドラッグとセックスと嬌声が満ちている。そんな退廃な日々の向こうには、空虚さを超えた希望がきらめく。

感想

この本との出会いは、本屋で村上春樹の本を読んでいたとき、その隣にあった「限りなく透明に近いブルー」という素敵なタイトルに惹かれ手に取ったことではじまる。そして家に帰って読んだとき、まずはじめに文章に驚かされた。雑然と混沌としていてまるで掃除が苦手な友人の汚い部屋に訪れたようなそんな文章なのである。これは批判しているわけではなく、著者はドラッグとセックスに溺れる若者たちのカオスな状態を文章によって表しているのだ。

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作中に出てくる若者たちが住む「ハウス」とは、福生市にある米空軍横田基地周辺にあった(元)米軍住宅である。JR八高線と平行する国道16号に約2000戸あったとされる。朝鮮戦争やベトナム戦争の時に住宅不足のために建てられた。米軍住宅の場合は一種の治外法権地帯であり、ドラッグ・パーティーや乱交パーティーが開かれていたと言われる。戦争後「ハウス」は安く借りられる広々とした一軒家として、芸術志向の若者を引きつけた。

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信号や標識は日本だけれど、街並みはアメリカンです。

 

この小説ではの主人公のリュウ(十九歳)の視点でハウスに訪れる彼の仲間たちが描かれている。退廃した若者たちに関わる唯一の世間は警察官である。

 

リュウと恋人のリリー(三十歳過ぎの子持ちの女性) とのやり取り

 

 

冒頭部分、リュウの部屋には腐敗したパイナップルが放置されたままそこにある。

僕の部屋は酸っぱい匂いで満ちている。テーブルの上にいつ切ったのか思い出せないパイナップルがあって、匂いはそこから出ていた。
切り口が黒ずんで完全に腐れ、皿にはドロドロとした汁が溜まっている。

リリーと夜明けを見た後もパーティーは続き破壊と再生が繰り返される中、

僕はまだ捨てていないパイナップルを鳥にやろうと考えた。

そしてリュウは鳥のためにパイナップルを庭に放り投げる。

作中で出てくる「黒い鳥」は現実や社会、「パイナップル」はリュウ(自己)の隠喩だと想定する。

アパートの夫婦や病院の掃除婦の前では姿を現す鳥も、リュウの前では声は聞こえるのにその姿は見えず、こちらから見ようとすれば逃げられてしまう。まだ捨てていない自己への可能性や希望が感じられる一方、弱くて腐ったままでは現実に受けいれてもらうことができない。

リリーここはどこだかわかるか?
俺はどうやってここに来たんだろう。
鳥はちゃんと飛んでるよ、ほらあの窓向こう側を飛んでるよ、
俺の都市を破壊した鳥さ。

 

リリー、あれが鳥さ、よく見ろよ、あの町が鳥なんだ。
あれは町じゃないぞ、あの町に人なんか住んでいないよ、
あれは鳥さ、わからないのか?本当にわからないのか?
砂漠でミサイルに爆発しろって叫んだ男は、鳥を殺そうとしたんだ。
鳥は殺さなきゃだめなんだ、
鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、
鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を俺から隠してるんだ。
俺は鳥を殺す、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ。 

リュウは、自己を差しだそうとする行為とは裏腹に、自身が理想とする都市を破壊し、彼が見ようとすれば阻害し殺そうとする「黒い鳥」を恐れ殺すことまで望んでる。

理想の自分と社会における自分との食い違いが矛盾となり、恐れや葛藤が生じているのだろか。

 

ラストシーンに近づくにつれタイトルに関するエピソード出てくる。

リュウはドラッグによって狂乱するが、かろうじて正気を取り戻す。ガラスの破片をポケットから取り出し、ガラス越しに空を映してみる。するとガラスの窪みは白っぽい起伏を作った。それは雨の中、リリーとドライブをして基地の中に入り込み、リリーが殺してほしいと願うままに首をしめかけた時に見えた起伏と同じものだった。

リュウ、あなた自分が赤ん坊だってわかったでしょう?やっぱりあなた赤ん坊なのよ。 

青白い閃光が全てを透明にしたおかげで、リリーをそしてリュウも救った。
リュウを正気に戻したガラスの破片が、透明に近いブルーを映す。

波立ち霞んで見える水平線のような、女の白い腕のような優しい起伏。
これまでずっと、いつだって、僕は白っぽい起伏に包まれていたのだ。
血を縁に残したガラスの破片は夜明けの空気に染まりながら透明に近い。
限りなく透明に近いブルーだ。
僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、
このガラスみたいになりたいと思った。
そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。
僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った。

「これまでずっと、いつだって、僕は白っぽい起伏に包まれていたのだ。」

「おんなの白い腕のような優しい起伏」

母なるものに包まれ、守られているような世界。

 

黒い鳥、白い起伏・・・

色の関係から想定しうるものは

黒い鳥 …父・おとこ・畏怖

白い起伏…母・おんな・柔和

そしてこのふたつともが現実である。ということだろうか。

リュウはまだ赤ん坊で、保護の中で生きる青年で、十九歳という未成年で。

 

彼はこれから保護されるものから脱し、自分で選択した生き方をガラスに映していく。

そして、とある記事で著者は、この作品は実体験に基づいたものであると思ってもらっても構わないと言っていたので、白い起伏を他の人々にも見せたい=文章に起こして一つの物語として他の人々にに届けたいということだろう。

 

『限りなく透明に近いブルー』、夜明けの空気に染まりながら、透明に近い血を縁に残したガラスの破片。少しずつ色が付きながらも、赤ん坊のような心を片隅に残した、これから一人の人間として生きていく青年の物語である。