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ドフトエフスキー『罪と罰』宗教的解釈

 

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 前回の記事では、『罪と罰』の物語について述べましたが、今回は本作が現代の予言の書と言われる所以となったキリスト教との関連を紐解いていきます。

 

 

 

ナンバー666

ドストエフスキーは、『罪と罰』と神話「ヨハネの黙示録」との結合を試みていた。

「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。」(新約聖書 ヨハネの黙示録13章16-18節より)

「ヨハネ黙示録」13章には、二匹の獣が現れます。この二匹の獣は、いわば終末神話のプロローグを演じている。

 

そして、666という数字は聖書の用語解説に次のように記されています。

ヨハネの黙示録13:8で、人物の名を暗示する数字。ヘブライ語やギリシア語、ラテン語には特別な数字はなく、アルファベットの文字がそれぞれ数を表す。数を用いた暗号は、逆に文字に戻して解読することができる。

666について最も有力なのは、ヘブライ語でローマ皇帝ネロと読む説である。
初期キリスト教の迫害者ネロ皇帝の名、ネロン・カエサルをヘブライ文字で表記し、その文字に対応する数字を合計すると「666」になる。

  ヌン レーシュ ワウ ヌン コフ サメク レーシュ


  50 + 200 + 6 + 50 + 100 + 60 + 200 = 666

こうして「666=キリスト教の迫害者、アンチ・キリスト、悪魔を指す数」とされた。これは「ゲマトリア」と呼ばれるこの計算法である。それぞれの国のアルファベットを数値に代入し、アンチ・キリストを割り出すことができるとされている。

 

例えば、ナチス・ドイツの独裁者ヒトラーは、ラテン文字表記で

  H I T L E R

  107+108+119+111+104+117=666

また、「罪と罰」が執筆された当時のロシア人にとって最も脅威となった人物は、ドイツの英雄ナポレオンだった。1812年に「祖国戦争」を戦い、その後も長く、ナポレオンのセント・ヘレナ島脱出説などにおびえてきたロシア人にとって、ナポレオンはロシアの迫害者であった。

そして、ナポレオンをフランス語で綴り「Le Empereur Napoleon」とすると、

  L e E m p e r e u r N a p o l e o n

  20+5+5+30+60+5+80+5+110+80+40+1+60+50+20+5+50+40=666

そして、ラスコーリニコフですが、彼のフルネーム、ロジオン・ロマーノヴィチ・ラスコーリニコフをロシア語(キリル文字)で表記すると

  РОЛИОН РОМАНЫЧ РАСКОЛЬНИКОВ

そしてイニシャルは「PPP」となり、これを上下に反転させると、「666」の数字が現れる。 「PPP」というイニシャルは、ロシアではほとんどみられないイニシャルで、明らかに作為的なものであり、当初予定されていたワシーリィという名前を直前に変更したということからも意図的なものであると推測される。

謎とき『罪と罰』 (新潮選書)

謎とき『罪と罰』 (新潮選書)

 

人類の終末

本作において、ドフトエフスキーは十九世紀に蔓延しはじめた、神を否定し、人間は自らの意志、自らの欲望に基づいて行動するべきだという「ニヒリズム」(虚無主義)の思想に警笛を鳴らしている。

感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことのないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思いこむようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。(中略)誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、意見が一致しなかった。誰を有罪とし、誰を無罪とするか、わからなかった。人々はつまらないうらみでお互いに殺し合った。

このように彼は、来たるべき世界大戦と宗教戦争・飢饉・天災・疫病などで発狂した人間の精神の乱れにより引き起こされる世界の終末を予言している。

神とは何か

本作における「神」とは、なんなのか。それは「絶対的真理」である。永久不変の正義であり、法則である。

常識や価値観は、時代によって絶えず変化する。

しかし、放火・殺人・窃盗・詐欺などは、いつの時代も罪悪とされており、これからも許されることはないだろう。

 

ノアの箱舟

「罪と罰」の舞台であるペテルブルグは、初代皇帝ピョートル大帝の時代に都市計画として建設された人工都市である。当時のペテルブルグは、人口の急激な増加や、貧困と不正の蔓延で地獄のような場所であった。

ペテルブルグには、ペトロパヴロフスという要塞があり、スウェーデンの脅威が低下した19世紀には政治犯収容所としても利用され、ドストエフスキーもその一人として収容されていた。

1849年に官憲に逮捕され、死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられシベリア流刑となる。四年間に渡る獄中生活の記録は『死の家の記録』に記されている。

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ペテルブルグ水の都、つまり水に浮かんだ船にたとえられる。同様にラスコーリニコフの部屋も「船室」と呼ばれる。これらは「ノアの箱舟」を連想させる。ロシアの民話には、ノアの妻をそそのかして箱舟に乗船する悪魔の話がある。悪魔は鼠に化けて船倉に穴を開けようとしたが、英雄は猫になって鼠を退治した。ラスコーリニコフは猫になるはずの鼠。マルメラードフも鼠であるが彼は箱舟から自殺によって下船したが、ラスコーリニコフは生に執着するあまり箱舟にとどまろうとする。

生きていられさえすれば、生きたい、生きていたい!どんな生き方でもいい。   生きてさえいられたら!……何という真実だろう!……これこそ、たしかに真実の叫びだ! 

罰とは何か

まず、罰にあたることとして古い法律解説書にある「汚辱刑」というのがある。自尊心の高い犯人には狂信をあざけり恥をかかせることが必要という理論がある。それに照応するのが、ソーニャに宣告された大地への接吻と全世界への告白である。

「立ち、ひざまずいて、あなたがけがした大地に接吻しなさい。それから世界中の人々に対して、四方に向かっておじぎをして、大声で『わたしが殺しました!』というのです。そしたら神さまがまたあなたに生命を授けてくださるでしょう」

そこには周囲の人のあざけりと笑いがあった。

また、ラスコーリニコフはさまざま機会で世界との断絶を実感する。そのような人物にとって愛は不可能である。これは、「カラマーゾフの兄弟」ゾシマ長老の言葉と照応する。

 「地獄とはなにか?それは、もはや愛することができない、という苦しみである。」 

このように、ラスコーリニコフは愛のない地獄で、生に執着するという矛盾の中で絶望に暮れることになる。これが「罰」の総体である。

 

ナンバー13と復活祭

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「罪と罰」は1865年7月8日から同年7月20日までの13日間の物語である。7月20日は聖イリヤの祝日。

そして一年半後、シベリア流刑にあるラスコーリニコフの復活が訪れる。復活祭の週の朝、ソーニャと会い不意にラスコーリニコフはソーニャへの愛を自覚する(このシーンは聖書のイエス復活を下敷きにしている)。「殺人者」と「娼婦」という呪われた者が愛し合うことでユートピアへの入場資格を得た瞬間である。

どうしてそうなったのか、彼は自分でもわからなかったが、不意に何ものかにつかまれて、彼女の足下へ突き飛ばされた気がした。彼は泣きながら、彼女の膝を抱きしめていた。最初の瞬間、彼女はびっくりしてしまって、顔が真っ青になった。(中略)だがすぐに、一瞬にして、彼女はさとった。彼女の両眼にははかりしれぬ幸福が輝き始めた。彼が愛していることを、無限に彼女を愛していることを、そして、ついに、その時が来たことを、彼女はさとった、もう疑う余地はなかった。

また、ラスコーリニコフが過ごした屋根裏部屋も復活と大きく関係している。この場所は「戸棚」「トランク」、「船室」と比喩され、上京した母には「棺桶」とも言われる。中でも、「戸棚」や「棺桶」は聖書の「ラザロの復活」や、ホルバインの絵画『死せるキリスト』を象徴させる表現と捉えることができる。

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最後に

「罪と罰」は、物語を楽しむ通俗小説としても、キリスト教的背景を持った予言書としても楽しめる作品です。日本人は仏教徒ではあるけれど、無神論者が多いのでキリスト教的な読み方をする人はごく少数だと思います。(私はそうでした)聖書は小説だけでなく、エヴァンゲリオンやその他の漫画等のストーリーにも大きく影響しているので、物語の認識を深めるのに一度読んでみようかな。